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中郷の紹介
雪解けは4月上旬~中旬 様々な植物と木々が芽生え特に桜の開花には目が奪われます。妙高山の裾野では、こごめ、竹の子、ぜんまい、わらび等の山菜に恵まれています。そして、雪解けと共に、農作業(田畑)も始まり慌ただしくなって行きます。
同じ夏でも我が郷土では、町中の気温との差が3~4℃位低く北風の吹く日は、網戸にしておくだけでも結構涼めます。夏野菜も実り収穫出来るようなり、食卓に並び見た目も鮮やかにとても美味しく頂けます。
まさに収穫の秋と言われますように野菜、果物、そしてなんと言っても美味しい新潟米(しらゆき米)の収穫が始まります。本当に中郷区内各地で採れるお米は、『とても美味しい』と近隣の方々をはじめ遠方の親戚、知人の方々にも大評判です。
12月に入ってきますといよいよ気温もグンと下がり妙高山麓にも初冠雪が見られます。そして、圏内の四季を通じて妙高山の写真撮り初め、絵画をされる方も少なく有りません。中郷区をロケーションに有名画家、写真家の描写した春夏秋冬の妙高山も沢山有るようです。一寸、降雪量の多いのには、びっくりしますが、これも又次の春からの田畑の水分にかなり影響されますので一概に迷惑がったり出来ないのも事実です。最後に当中郷区もまだまだ沢山の特徴が有ると思いますが、実際にこちらにお出かけの前には当ホームページからのリンク等で色々検索してみてください。
中郷区民も意外と知らない中郷の歴史
中郷区(村)って、今年で何歳?
皆さんご存じの通り、現中郷区は、平成の大合併により上越市に編入し、中郷区となりました。
日本が明治維新期である明治4年7月に、明治政府が廃藩置県を行い、その当時の中郷村が支配されていた高田藩が、高田県になりました。
さらに同年11月には高田県は、柏崎県に入りましたが、明治6年7月に柏崎県が廃止されて新潟県に統合されました。
そして明治22年(西暦1889年)4月に市町村制の施行により地方自治制度が確立し、最初の市町村合併が行われ、「中郷村」が誕生しました。
ちなみに岡沢地区や、西福田地区は、「矢代村」としてスタートしています。
なので、中郷村の時から数えると、今年(西暦2010年)で、121歳になります。
最初は、国道11号線!?
中郷区には、国道18号線(上新バイパス)が通っています。
実は、最初は国道11号線でした。大正8年に初めて道路法が出来て、翌9年に高崎~長野間が国道10号線、長野~直江津間が、国道11号線となりました。昭和27年に道路法が改訂されて、国道10号線と国道11号線が国道18号線になりました。
東海道線よりも早いってホント!?
二本木駅がある信越線、明治19年8月15日に直江津~関山間が開通しましたが、あの東海道線よりも早かった様です。
そして、明治26年には直江津~上野間の信越線全線が開通しました。
ちなみに日本の鉄道は、明治5年に東京~横浜間が開通しています。
直江津~関山間の創業の頃は、1日2往復しかなかった様で、上りは1時間40分、下りは1時間26分かかりました。
運賃(「下等」と言うクラス)は、直江津~高田が5銭、高田~新井が8銭、新井~関山が12銭でした。当時の貨幣価値を、今の時代に換算すると1銭で約200円程度として、新井~関山が2400円になります。
また開通当時は、残念ながら二本木駅は無く、直江津、高田、新井、関山の4駅だけでした。だから中郷の人々は、山道を歩いて新井か関山の駅まで行った様です。二本木駅が停車場として完成したのは、明治44年5月1日になります。もちろん開業当時も走っているのは機関車で、電化されたのは、今(西暦2010年)から44年前の、昭和41年10月1日の事でした。
陸川三次さん
上越地方にバスが走り始めたのは、大正2年に「上越自動車会社」が当時の高田市内で運行したのが始まりで、翌年には新井までバスが来るようになりました。この頃から自動車が中郷でも見られるようになった様です。
昭和3年に、藤沢の陸川三次さんが、トラック運送を始めました。
翌4年には、シボレーの自動車を買って乗合自動車を始めました。
さらに翌5年には、二本木の早川永作さんと竹田至さんが加わって、合名会社を作り、シボレー3台を用意して、新井~関山間にバスを開業しました。
その後、新井の山本信太郎さんが、その会社の営業権を買い取って、「青バス」の愛称で運行していました。
そして幾度かの変遷を経て現在の頸城自動車株式会社(通称:マルケー)になりました。
(文献:「中郷村史」より)